文芸誌放談

日本の文芸シーンの最先端である文芸誌を追っかけ、格付けし、思ったことなどテキトーに。

「始発まで」絲山秋子(新潮 2013年5月号)

★★★☆☆ ふつう、ってか面白いんだけど、よく掴めない。保留。

夢のなかで龍一は絶望を買いに行ったのだった。(p49)

多分、気付けなかった何かがこの作品に入ってる気がする。もしくは、この作品を読むと自分のなかから忘れてた何かが出てくるんだろうなと思う。ちょっと後で読み返すから、今は保留。


※以下、4/12に追記※
★★★★☆ やっぱり面白い!

「帰るの?」
薄い闇のなかから、やよいの声がした。
「うん、もう朝だし」
「そう」
 やはり愛想のない返事だったが、その短さには何かを慎重に回避するようなたしかさがあった。肌触りは乾いていてもそれがこの年はじめて龍一がひろった優しさなのかもしれなかった。(p51)

正月の情景のひとコマを描いた小説だ。主人公は龍一という男。決して女性に不自由するようなタイプではないのだろう。絶対音感がある男。
物語としては、彼と、ふたりの女性がでてくる。妹と、同級生の一ノ瀬やよい。
妹は、高校2年生から12年間(1995-2007)引きこもって、死んだ。兄の実感としては、生きている時の妹の存在感よりも、「不在」としての妹の存在感のほうが大きいようだ。
やよいは、かつて彼が興味を持っていた女。しかし、今の彼女はかつての彼女とは違う。陰気な面があり、「全くの別人になってしまった」と感じる。彼女は、交通事故に遭い、左目が義眼になっている。事故という現実的な出来事が、かつての彼女の死を表出させているのかもしれない。

龍一は彼女の部屋で一夜を過ごす。その前に、安易なヒロイズムにも見えるかもしれないが、こんな回想をしている。

ひとの悪口というのはごく弱い共感を引き出すことはできるかもしれないが自分の糧となるべき深い絶望は生み出さない。では自分にそんなふかい絶望があるのか。いやない。だから探しているのだ。(p47)

彼女と肌を交わすも、それはどこか儀式めいたものとなり、その後ちぐはぐなやりとりを終えて彼は眠る。始発が走る6:14を待ちながら、夢をみる。絶対音感の上限についての記述。

絶対音感とは、特殊な能力だと思う。著者は、龍一にその能力を付与することで我々一般人とは異なるある種の特権性を与えながらも、我々のわからない世界においても限界があることを示唆する。

それから、妹が遺した「気味の悪いメモ」に話が移る。ここで没年が2007年であったことが浮かび上がってくる。メモは予言めいたもので、またここで特殊な能力を示唆する。

私はここまできて、ようやく孤独に思いが至った。特殊技能に目を奪われがちだが、それに限らず、大前提として人は他人と思いを完全に共有することが出来ない生物だ。そのなかで、伝わるものがあるとすれば、それはなんなのか。先に引用した「優しさ」がそのひとつなのかもしれないが、それだって主観的判断に過ぎないわけだ。わたしたちはどうやって連帯しているのか、どのように生き続けてきたのか。

僕たちはもう語らなくなってしまっていたし、思い出すのにも深い倦怠が伴った。死者たちが忘れ去られて、新しい東京は異質なものとして復興された。(p51)